99%が返還されても失うもの|インド廃貨令と取引所BTCの盲点
2016年11月8日、午後8時。インドの首相がテレビで突然の演説を始めた。500ルピー札と1000ルピー札は翌深夜0時をもって法定通貨でなくなる、という宣言だった。猶予は4時間にも満たなかった。
そのとき最も困ったのは誰か。給与を銀行振込で受け取り、規則通りに税金を払い、現金を自宅ではなく口座に入れていた、ごく普通の市民たちだった。
ルールに従った者だけが行列に並んだ
廃止対象の紙幣は、最終的に99%超が銀行に返却された。政府が掲げた「黒いお金の炙り出し」という目的は、ほとんど達成されなかった。現金を自宅に大量に隠していた者は別のルートで処理し、制度の抜け穴を知る者はそれを使った。
傷ついたのは、銀行を信頼して全財産を預けていた人々だった。ATMは何週間も空になり、銀行の前には何時間もの行列ができた。日銭で暮らす商店主は収入が途絶え、現金が引き出せずに医療費を払えなかった人もいた。
「制度は機能した」という意味では、そうかもしれない。99%が戻ってきた。だが、戻ってくるまでの間に失った時間と機会は、誰も補償しなかった。
取引所のBTCも、構造は同じだ
取引所に預けたビットコインは、日本の資金決済法上、分別管理が義務付けられた顧客の資産だ。法律の上では、あなたのBTCはあなたのものである。
しかし問題の本質はそこではない。
取引所が何らかの理由で出金を停止したとき、あなたには何もできない。規制当局の命令、流動性の問題、ハッキング、経営悪化——理由は何であれ、出金ボタンが灰色になった瞬間、あなたのBTCはあなたが「動かせないBTC」に変わる。
インドの廃貨令でも、銀行口座のお金は法的にはあなたのものだった。だが、2週間引き出せなかった。その2週間に何かが起きても、何もできなかった。管理権がないとはそういうことだ。
正直者が最も傷つく逆説
見落とされがちな点がある。「ルールを守って預けた人ほど、ルール変更に脆弱になる」という逆説だ。
KYCを通過し、確定申告を行い、公式の取引所を使っているユーザーは、取引所の方針変更に完全に依存している。出金停止を宣言されたとき、法的な対抗手段を探す時間も、状況を確認する手段も、ほとんどない。
2022年のCelsiusは突然出金を凍結し、最終的に破産申請した。FTXは崩壊直前まで「安全」と言われていた。2018年のコインチェック事件では長期間にわたって出金が停止された。いずれも、利用者の多くが「まさかここが」と信頼していた取引所だった。インドの市民が、まさか政府がそんな宣言をするとは思っていなかったように。
鍵を持つことが、一夜の変更から独立する唯一の方法
セルフカストディは、非常時のための保険ではない。日常的な選択だ。
秘密鍵を自分で管理していれば、取引所が破産しても、規制当局が出金を差し止めても、システム障害が続いても、あなたのBTCはあなたの管理下にある。ブロックチェーン上のUTXOは、正しい秘密鍵による署名以外に反応しない。政府の宣言も、取引所の決定も、その署名を代替することはできない。
2016年のインドで、ビットコインを自分のウォレットに保有していた人がいたとしたら、銀行の行列とは無縁だった。ATMが空になっていようと、銀行の窓口が週3日しか開いていなくても、彼らの資産はブロックチェーン上で動かせた。廃貨令は、チェーンの外側にある話だったからだ。
ハードウォレットを入手し、シードフレーズを安全な場所に保管し、秘密鍵を自分で持つ。難しいことではなく、手間のかかることだ。しかしその手間が、一夜のルール変更から自分の資産を独立させる、現時点で唯一の手段でもある。
99%が返ってきても、行列に並んだ2週間を取り戻す方法はなかった。あなたのBTCが今夜どこにあるか、確認する価値はあるはずだ。
※本記事は一般的な情報提供を目的としており、投資助言ではありません。
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